外国語が話せない私がいろんな言語の20カ国を旅できた理由

私は海外旅行が好きでした。
(今は業務でなかなか機会に恵まれませんが…)


そんなに語学が堪能というわけではありませんが、
20カ国以上、色々な言語の国へ旅行にいきました。



語学の不十分な自分が20カ国も旅行できたのは、
その土地の方の暖かいサポートでした。


私は、海外で、外国人として、地元の方に
多大なる恩恵をうけていたのです。

(でなければしゃべれない人間がいろんな言語の国20カ国も
 旅行できるわけがありませんので)



あるとき、私がなぜかイランに旅行した際。
あるイランの親父さんが言いました。


「私は日本に住んでいたことがある。
 日本人には非常に親切にしてくれた。

 私はそのときしてもらった親切を、
 同じ日本人である君にお返しすることにする」


と。


私は、家族同然に接してくれ、賓客の待遇で、
夕食会など催していただいたのです。


私はこの言葉を言われたとき、
心に何かスイッチが入りました。

そして、こう思いました。


「今、私が受けた恩は、これは一時的なもので、
 例えば、私が帰国した際、外国人が困っているのを見たら、
 今日を思い出し、その恩を困っている外国人に返すことにする」


と。



もちろん、外国人だけ特別に親切にするという
だけではないですが、不幸というか幸いというか、
その後、困っている文化で戸惑っている外国人に
幾度か私はこの「恩」を返す機会に恵まれました。


今後も、機会あれば実践することと思います。



全ては、イラン人のお父さんから始まったことです。
それが、私を媒介して世界の人の
困った原因を取り除いているのです。



ちょっと今日は、いい子ぶってしまってい恐縮ですが、
今回J氏をサポートしたこともこれがモチベーションになったであろう
と思いましたので、長々紹介しました。


ミスチルの「彩り」みたいですね。
(だから私はあの曲がすきなのかもしれませんね)




今日の言葉


「私は日本に住んでいたことがある。
 日本人には非常に親切にしてくれた。

 私はそのときしてもらった親切を、
 同じ日本人である君にお返しすることにする」


イラン人のお父さん