マクドナルドで街の変化を感じる…

私の住んでいる街が大きく変わっています。


高級マンションが雨後のたけのこ状態で乱立し、街の景観をがらりと変えてしまっています。
周辺のお店やレストランなどもどんどん変わってきていて、新たな住民のライフスタイルを意識したお洒落なお店ができてきました。


そして、私の街も東西南北で大きくその役割が明確になってきました。

まずは新旧住民の住み分けが東西で別れました。


東方面は、新たに高級マンションが乱立し、お洒落なレストランやお店が急増し、新たなデートスポットとなってきました。

西方面は、昔からの商業圏で百貨店や繁華街はそのまま残っています。



そして、その西側でも南北でその街の役割が分割しています。
繁華街や百貨店のある南側に圧倒的に若年層が集中し、北側は大人の街…
というより若年の寄り付かない街となり、

若年がいないのを好む層が頻繁に利用するなどして住み分けがなされてきたようです。



私はそのことをマクドナルドによって気付かされました。



マクドナルドは、当時北側(西)にしかありませんでした。

しかし、そのマクドナルドは撤退し、今では、南側(西)に集中して2〜3件ほどあります。



因みに、東側には1件もありません。



このようにマクドナルドは概算で1件当たり年1億円を売り上げる外食業界のNO1
企業ですので、当然出店立地も非常に計算されているようです。


と、これを応用し、私はあるお店があることで大体その街の事が想像できるようになる、
きっかけなるのではないかと思うようになりました。


例えば、ベンツやポルシェのディーラーが集中する街はどんな地域?
マクドナルドやハンバーガーチェーンが集中する地域はどんな地域?

・・・逆に、それらがない地域はどんな地域?


という具合に。


大企業のマーケティングを盗む事ができますね。
まあ、これでいい気になることも、驕ることも禁物ですが、そのような気付きが
地域を考える視点を養う重要なきっかけとなると私は思ってます。



今日の言葉
「あるものを使えばよい」



こういうこというと…

よく親のすねかじって…とか親の七光りで…
と僻みをいう人がいますが、


親や社会に世話になったことがない人はいませんん。
皆いまある状況を多かれ少なかれ活用しています。


大学に入学させてもらった、育ててもらった。それだけで十分でしょう。
それなのに、俺は成人してから、自分の稼ぎだけでやってるけど、アイツはまだ親に食わしてもらっていい生活している…

というニュアンスをいう人がいます。
でも、そんなのあなたに関係ない。


そんなのいうことによってあなたに何のメリットももたらさない。それどころかある種の「ひがみ」の感情を自分で処理できず回りの人にいうことで満足する自己中心的で視野の狭い人だと私は思ってしまいます。


俺は誰の世話にもなってないという人がいるとすれば、例えですが、コンゴの難民から自らの力一本で今の日本人の生活水準まで勝ち上がってこれたような人だけがいえるセリフではないでしょうか。



それに、今日本では親の方が子供や孫のスネをかじっているのではないですか?
今日は長くなったのでこの続きは明日書きましょう…





ちょっと社会を風刺した。きわどい挑戦的な内容になってしまいました。


そして、書いてて思いましたが、そのような気持ちをブログにぶつける私自身も自己中心的で視野の狭い人間の一人なのでしょう。

自覚してるから他の人よりマシ…との思考が頭をよぎるのは都合のいい言い訳ですね。




でも、書き続けます。