今日は久々にビジネス入魂の言葉・・・
ずっーーと、持ってはいたがやっと読む気になった「ウェブ進化論」梅田望夫著作を読みました。
(そういえばこのブログの(株)はてなの非常勤取締役でしたね)
読む気になれなかったのは言い訳がありまして、結構この本は、学者と言うかエンジニア見たいな人が書いた学説や論文みたいな専門知識がないとあんまり良く分からない本だなどと聞いておりまして、プログラムのアルゴリズムとか述べられても、私には俄か仕込み程度の知識もないので…と思って敬遠していたのです。
まあ、Web2.0と言う用語はものの本に載っている程度の知識は別で得られたし…難しいの読まなくてもなんとかなるかなと逃避しておりまして…
でもでも、
よい意味での学者テイストがあり、深い洞察に裏付けされた事象を紹介しており、購読者の関心事や読みやすさに腐心したのだろうと感心しました。
この本、私は予想以上に理解できた(と思う)し、よい本だった。読んでよかったどころか、なぜ今頃まで読まなかったのだろうとまで思える1冊でした。
で、今日の言葉はこの「ウェブ進化論」で今の私に素直に沁みたエピソードを引用し、紹介したいと思う。
・・・がその前にこの文章の前後の概要を紹介する。
シリコンバレーの栄枯を見てきた著者が、グリーンカードを抽選で取得した日本の若者から、「コネなし状態の今、渡米先で仕事ができるだろうか」ともちかけられた相談に対して、その経験から、「あなたがやろうとしていることは危なっかしくて見ていられない」と言うニュアンスの回答をしてしまう。
そして後日、著者がよくよく考えてみると、その時の保守的な回答をした44歳の自分という立場と、若き日に渡米し、ベンチャーまっしぐらで怖いものなしの34歳の自分を対比して、振り返った回想という具合の文章である。
(…が私の駄文で説明しきれたろうか?)
「『44歳の私』は、色々な事を知っている。でも、『34歳だった私』は、渡米したときそんなことは何も知らなかった。いや『知らなかった』わけではないが、『自分のことではなかろう』と考えるだけの勢いがあった。一言で言えば客観的でなかったのである。
…(著者が)34歳のとき、もっとモノをよく知っていて、もっと客観的で、それゆえ『もう少し力をつけてからでも遅くない…』なんて考えて冒険しなかったらと思うと、ゾッとする。モノが見えていなくて良かった。今、心からそう思うのだ。
たしかに『44歳の私』は、10年前『34歳だった私』に比べて圧倒的にモノが見えている。いろいろな経験を積んだ。たくさんの人を見てきた。でも、モノが見えている分だけ、新らしいこと、未経験なことについて、ネガティブに判断するようになっていないだろうか。これを『老い』と言うのではないのか」
この著者のお兄さん的気質と、人格に私は惚れました。
「満足な豚であるより、不満足なソクラテスであるほうが良い」と思うので第一人者であっても人格の研磨をしている著者のように考えられるようになりたい…もとい、「なっていきたい」と思います。
…って、引用長いって?