平和の定義をここまでシニカルにすることも凄いが、本質を突いている

平和の定義をここまでシニカルにすることも凄いが、

本質を突いている現実も凄い。



今日の言葉は、商売とは余り関係ないが、


たまに読む、ファンタジー小説(プチ・オタクなんで!)

より、戦争と歴史を描写した言葉を引用する。



今日の言葉


「平和とは2つの戦争の間をつなぐ

 陰謀の期間である」


田中芳樹




永遠の戦争が存在しないと同時に、
永遠の平和もまた、ない。


それは残念ながら、
歴史が証明している事実だ。



ほんの数十年の
つかの間の平和のために人は戦争をしているのだ。


人の歴史は戦争の歴史。


今の平和も微妙な均衡の上に成立する不安定なもので、
戦争こそ自然なある意味安定を意味するのか?


聖火リレーは、
各国のエゴが戦争さながらに既にぶつかり合っています。



マレーシアクアラルンプールにて、
聖火リレーの反対運動をポーズしていた
日本人3名が保護されたニュースをみた。


なぜか、彼らが腹ただしかった。
見当違いに見えた。
いたずらな好奇心を抑制できない人に見えた。

動機が安易に見えた。


日本人が平和ボケしている様を具現化している
ように見えた。


最近、死地をフェスティバルと勘違いしている人が
いるようにメディアは写しているのだろうか?

今は、平和が長く続いている状態なのだろうか?
すると、もうすぐ大規模な戦争が起こるのだろうか。


歴史の必然のように。


そんな不安を覚えます。


ただの心配性かもですが…


しかしながら、

マレーシアの日本人が何が動機で、何をしようとしたのか。
そして、何ができたのか。


知りたくもない気分です。