男「何食べたい?」 女「何でもいい」 男女「どうしよう…」の必然

今日の言葉

「制約条件が、クリエイティビリティーを育てる」



書評家 土井英司氏



曰く

「自由な発送と表現を得るためには『逆に窮屈な枠を嵌める』こと」。




私には実感があります。



何の制約・制限もなく、

「好きに企画を発想してみて」

と言われても、発想は浮かびません。



でも、ある制約、例えば「予算」「場所」「色」「にんじんを使って」

「子供のいる主婦向け」「200字以内で」「2坪の売り場面積で」

「うどんを洋風に」「箸で食べさせる」・・・など



でもそうすると、だんだん制約下での想像力が膨らみ、

ユーザーが具体的に想像できるようになり、

思いがけない発想が生まれます。



これらは、非常に良くあることです。



では、

なぜ、制約条件がクリエイティビティーを育てるのか?



それは、話の芯というか軸がある事によって、

そこから派生する思考が逆に自由に生まれるということ。


「軸がぶれなきゃこんな発想もアリかな?」

と思い切った思考の進め方が可能になるからです。




制約条件なく「何でも自由に何でも好きに決めて良いよ」


と言われると、



話の芯、軸をまず決めなければならないけど、


その自由度の高さゆえに、可能性が格段に多くなるので、


「場合分けが多くなり、思考停止してしまう」


ことに原因があるように思います。




一度は経験があると思いますが、食事でも


男「何食べたい?」

女「なんでもいい」


男女「んー…」


と結局どうしたらいいかわからなくなってしまうものですが、



これは「男」が制約条件なく答えを聞こうとする姿勢がよくありません。


制約条件がないので思考停止になることを誘発する質問です。


しかも「女」の回答の「なんでもいい」。


これも、制約条件のない判断を依頼しています。


「何でもいいといわれても…」


と思うこの瞬間は、選択肢が多すぎて、

まさに思考停止している状態と言えるでしょう。



今日の言葉はそんなことを思い起こさせる言葉でした。




因みに、「男」の質問者は、「何がいい?」と言う質問は


質問として雑であると肝に銘じましょう。



理想とは言いませんが、模範解答としては、


「パスタと飲茶どっちがいい」

「魚の旨い小料理屋とあっさりラーメン」

「しっかり食べるのと軽く一杯しながらゆっくり食べる」


など
「判断できるだけの選択肢を用意してあげる」

ような質問を心がけましょう。




ま、なかなかとっさにはできませんけど、


意識するところに進化がありますから…


(自分も意識したいと思います)