亀田親子を温かく見守れなかった日本人の器の小ささ…

遅ればせながら亀田一族(興毅氏)の記者会見をみました。



大毅選手の敗退後の記者会見もそうでしたが、


見るに耐えない。



思わず見てしまい視聴率に貢献する自分に嫌悪しました。





興毅選手は二十歳ですが、大毅選手は未成年。


活きの良い未成年のあらゆる立ち振る舞いを否定する会見、そしてあのイジメのような質問を浴びせ、私は世間が知りたいことを代弁しているといいたげなマスコミ。



未成年は法律でも守るべき弱者。それに寄って集ってメディアが群がる。



日本の多くの人が、活きの良い未成年を捕まえて「腹を切るといったら、切れ」など、質問者ががき相手にむっときていて、スカッとしたいがためだけに意地悪な質問をして、反省している姿を見てそれなりに悦に浸っている。



大人が、未成年をリンチ状態の袋叩きにしているという社会現象を感じました。



これをみて、今の日本人の器の小ささを痛感。



多くの視聴者に問う。


「アイツ(しかも未成年)を懲らしめてうれしい」という自我の欲求ため、大の大人がモラルを超越して、自己欲求に走っているのではないか?




私は、受身に陥りがちな「視聴者の責任」を問い直すべきだと思う。
間接的に未成年を集団暴行しているといえないか?
それを楽しく鑑賞することは加担したことにならないのか?
加担とは自ら暴行行為をしたことではないのか?
視聴者はここで言う集団に属する存在なのではないのか?



日本という国は、(基本的に)単一民族国家であり、団結して戦争・経済恐慌などの難局を乗り切り、助け合ったという精神があった。


論が外れるが、
社会的に間違ったことではあったが、旧財閥系銀行の護送船団方式、日本企業の株の持ち合いなどは、経済学者の非難はあるもののその思想は、「日本人同士助け合いましょ」ということが発端だ。




日本人の誇り、プライド、器。
それを考えされられる事件だと思う。



かつて日本は誇り高く、世界に対しても自我を持った民族だった。
間違いだったかもしれないが、かつて国際連盟を日本の国益のためと信じて堂々と退場した松岡大使のような侍もいた。
(現在の北朝鮮の外交姿勢をこれにダブらせる人は少なくなく、北朝鮮の外交はともかく、そのプライド・誇りの高さは感服してしまう)



しかし、日本の誇り・プライドはどんどん安くなっていく。



今の日本を見て、


日本の文化が日本人自らによって抹殺されると嘆いた、三島由紀夫が何と言うだろうか?
豊かで平和の世の中を願って特攻作戦に従事した、日の丸特攻隊の若きパイロットが命を賭してまで、望んだ未来なのだろうか?



私は世間に流されず、彼ら偉大な日本人のプライドを継承できるようにしたいものであるし、
マスコミのよろしくない潮流に対して、疑問を呈し、身辺の人だけでもいいから感化してもらえるようになれればいいと思った。





今日はちょっときわどい話だが、日本人の器の小ささを露呈させた事案を垣間見て、このような表現しかできなかった自分の未熟さを思いながら、敗北やネガティブを痛感し、より成長した亀田兄弟の第2ステージに期待し、エールを贈りたい。



今マスコミがやっているネガティブキャンペーンは、亀田兄弟のハングリーを満たすエサだ。
彼らは苦労しながらもエサを平らげ、エサを与えたものの当時の意図を凌駕し、飛躍するだろう。
(少なくとも状況を自分で判断できる人はそう思うだろう)




なぜなら彼らこそ侍、日本の誇りとプライドを新しい形で継承し実践しようと努力するものなのだから…






今日の言葉(激励)



「力が無いなら負けたらええんや」



灘蓮照棋士